1充実を掴むには/見えない心では

イマイチ人生に充実感がない

人生もそこそこ生きていると
なんとなく人生にも慣れてくる。

それなりに社会で生きていて
それなりに仕事もこなしていて
人との関係も一通りこなして。

そうして人生にも慣れて
一通りの生活も出来ている。

それでいいはずなのに、
確かに人生そこそこなのに、

なぁんか足りない感じがする。

そう。

人生に慣れてこなれてくると
それまでに感じていたような
不満感・疑問感とはまた少し違った
こうした表現しにくい思いが
自然に出てくるようになる。

「このままでいいのかなぁ?」
「他に出来ることがあるような・・」
「どこか腑に落ちない気がする・・」

といったような思いが浮いてくる。

そうだなぁ、
少し違う言い方をすれば、

「確かにそれなりに充足している」
「そこそこ必要なものも揃っている」
「けれどどこか充実とは違う気がする」

という感じかもしれない。

今ひとつ充実を感じていないけど
何故だか自分の中に何かがあって
それがとても大事なような気がする。

そういった気持ちが出てくるようになる。

自分の中にある気付かない何か

無我夢中で生きてきた頃には
「外側にある新しい何か」
を求めて色々模索してきた。

でも「外側にある新しい何か」では
どこか足りないものを感じ始めている。

そうしたタームに入ってくると
「自分の中にある気付かない何か」
がポイントになるという事が
不思議なことに分かってくる。

だから、外側にはもうあまり求めない。

「心の中にある気付かない何か」を
じっくりと見ようとするようになる。

こうなると自分の人生もいい意味で
中盤戦・後半戦へと向かっている証拠。

成熟は進んでいる状態。

良い状態ですね。

気付かない心の何かを探して

こうなるとそれを探すために
「心」にまつわる事を学び
それが何かを知ろうとします。

学ぼうとするジャンルは色々でしょうね。

「気付かない心の何か」だから
最も浮かびやすいジャンルは
「心理学」に関係するもの。

他のジャンルに興味があれば
脳科学・脳生理学を学んでみたり、
文化人類学・文化学・生物学・生態学
歴史学・社会学・精神科学・哲学
といったジャンルかもしれない。

学んだ分だけは理解できるし
なるほどともすごく思う。

学びの先の行きつく壁

でも。
最終的に行きつく思いは、

「分かったような分からないような」
「自分とどう絡んでるのか分かんない」
「自分の場合は一体どうなの?」

ってトコになってしまう。

そう、

【自分の場合】
【自分の特徴】

これがどうにも分からない。

ここがすごい壁になってくる。

見えない&個人差の壁

そうなんだよね。

心ってのは見えないから
そもそも分かりにくい。

学べば何かわかるかと思って
色々学ぶものの行きつく先には
「個人差」という壁が立ちふさがる。

そういう部分があるからこそ
心っていうテーマは本当に厄介なテーマ。

”見えたら分かりやすいのに”
”個人差があっても分かるといいのに”

って。

そう思うんだよね。

んで。

そんな都合のいい願い。
これが叶う方法があるんだよね。

2心が見て分かる/多彩で多様な心”見えたら分かりやすいのに” 心ってのは見えないから そもそも分かりにくい。 心について学んだとしても どうにも見えないもん...